【カンヌ現地レポート】エストニアが描く、スタートアップ思考で再構築する映画製作のエコシステムと未来

人口130万人の小国エストニアが、映画産業の中でどう存在感を発揮しているのか。北東部に建設中の大型スタジオ複合施設「IDA Hub」を中心に、現場の課題から立ち上がったスタートアップ群、デジタル国家ならではの意思決定の速さを武器にしている。

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  • Maris Toomel氏
  • Olga Kurdovskaja氏
  • Ronja Kissa氏
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2026年5月15日、カンヌ国際映画祭マーケット部門「マルシェ・ドゥ・フィルム」のビジネスカンファレンス「Cannes Next」で、「When Startups Meet Studios: Rethinking Film Production」と題したセッションが行われた。登壇したのは、エストニアの科学技術パーク、新設スタジオ複合施設の運営者、そして現場の不満から起業した二人のスタートアップ創業者。スタートアップ的な発想と映画製作をどう接続するかが議論の軸となった。


『テネット』などの撮影地となったエストニア

エストニアの人口はわずか130万人ほど。Tehnopol Science and Business ParkのKristi Jõeäärは、この「小ささ」を弱みではなく戦略的な強みだと位置づける。「映画製作で小さいことは武器になる。素早く動けるし、革新的にもなれる。ユニークな解を届けることもできる」。

エストニアは『TENET テネット』『Agency』『Sisu/復讐者たち』など国際プロダクションの撮影地として実績を重ねてきたが、Jõeäärが強調するのはそれにとどまらない価値だった。「魅力的なロケーションを持つ国はいくらでもある。柔軟なクルーやキャッシュリベートを揃えた国も多い。でも我々が持っているのは、製作とテクノロジー、スタートアップ思考を結びつけたエコシステムです」。

デジタル国家として知られるエストニアでは、人々はテクノロジーが当たり前に動くことに慣れている。使い勝手の悪いものがあれば、すぐ改良版を作るチームが現れる――そんな文化が根を張っている。「そのマインドセットを映画産業の現実の課題と組み合わせれば、面白い会社が生まれる」とJõeäärは語る。

IDA Hubの新スタジオは、場所・人材・資金の三位一体エコシステム

IDA HubのMarketing ManagerであるMaris Toomelは、プロデューサーが本当に欲しいものを三つに整理した。「実際に機能する撮影場所、課題を素早く解決してくれるチーム、そして質の高い財政支援。これをエストニア北東部で組み上げています」。

Maris Toomel氏

IDA Hubが目指すのは単なる撮影所ではなく、エコシステム全体の構築だ。空港から車で2時間の場所に、北欧・バルト圏で最大規模のスタジオ複合施設が建設中だという。特徴的なのは、その周囲に配置される構造だ。映画学校、映像業界向けのインキュベーション、初期段階のスタートアップを支援するフィルムテック・アクセラレーションなど、こうした要素が有機的に組み合わさる設計になっているという。

ロケーションの多様性も売りだ。Jõeäärによれば、中世の旧市街地からソビエト時代の建築までは車で10分以内。美しい海岸線から産業遺産的な工場までも10分ほどで移動できる。「プロデューサーにとっては、時間も費用も浮く」と自信をのぞかせた。

アクセラレーターを率いるOlga Kurdovskajaは、取り組みの本質を身も蓋もない言い方で表現した。「『イノベーション』なんて言葉を欲しがっている人はいません。皆が欲しているのは、予算を最適化し、時間を節約し、ワークフローをシンプルにしてくれる何か。それだけです」。

Olga Kurdovskaja氏

キャスティングを「管理地獄」から開放するAIイノベーション

セッション中盤、現場の不満から生まれた二つのスタートアップが具体的な解決策を提示した。

IRIS Casting EcosystemのRonja Kissaは、フィンランドとエストニアで15年キャスティング会社を経営してきた現役のキャスティング・ディレクターだ。彼女が示した数字には会場もざわついた。「昨年、私の会社だけで36,000件以上のPDFを受け取りました。キャスティング・ディレクターたちは、もう管理業務に埋もれている。本来の創造的な仕事に使うべき時間が、ファイルを保存し、データを集め、構造化する作業に食われている」。

Ronja Kissa氏

彼女が開発したのは、台本から最終決定までを一つのワークフローで完結させるAI搭載のキャスティング・プラットフォームだ。キャスティング・チーム、監督、プロデューサー、俳優、エージェント――すべての関係者を一つのワークスペースに集約する。「管理業務の時間を最大50%削減できる。その分、創造的な仕事に時間を回せます」。

実際のワークフロー・データからの試算では、業界全体で年間13億ユーロが「創造的な仕事が始まる前の管理業務」に費やされているという。「変えられる方法があるなら、やらない理由がない」。プロダクトは2026年6月にパイロット運用が始まる予定だ。

撮影現場のコールシートを動的Webアプリに進化

もう一人の登壇者、FilmLink共同創業者Sander Lebrechtも、現場の苦い記憶から起業に至った人物だ。『TENET テネット』を含む国際プロダクションを経験してきた映画プロデューサーである彼がぶつかったのは、撮影現場のコミュニケーションという、古くて新しい問題だ。

Sander Lebrecht氏

「去年、長編の製作で、コールシートをGoogleスプレッドシートで作り、PDFで配布していました。でもPDFを送った瞬間、その情報はもう古いんです」。ロケーションのキャンセル、誰かの遅刻など、様々な理由で現場は常に動き続ける。Lebrechtのチームは、更新されたロケーション情報がクルーの半数に届かず、間違った場所に人を送ってしまった。「対応に2時間を失った。それだけで20,000ユーロです」。

FilmLinkが目指すのは、映像産業に特化したインフラだ。出発点はシンプルで、コールシートPDFを動的なWebアプリに置き換え、変更があればクルーやキャストのスマホに即時に通知が飛ぶようにした。

他ツールとの統合も進行中だ。Movie Magicとのテストでは、撮影日数平均30日の長編で、セカンドAD(第二助監督)がコールシート作成に費やす日数が15日から2日に縮まったという。「Movie Magicのストリップボードをアップロードしたら、10秒で全部のコールシートが出来上がっていました」。

プロダクトはすでに稼働しており、テスト版を試せる状態だという。今夏にはエストニア発の長編2本、秋にはイタリアとの共同製作で使われる予定だ。

エストニアは意思決定がはやい

エストニアではキャッシュリベートを含む支援も充実しているが、注目すべきは意思決定の速さだという。「地域ファンドは、決定までわずか1か月。申請から1か月後にはその資金をファイナンスのオプションに組み込んで動ける。国家ファンドも今は最大40日。しかも国家のリベート資金は、エストニア側のプロデューサーを経由せず、メインプロデューサーの口座に直接振り込まれます」と強調した。

Kissaはこう締めくくった。「ハリウッドやロサンゼルスを思い浮かべてみてください。大きすぎる。皆が忙しすぎて、捕まえることもできない。エストニアでは、大統領も首相も電話2本で捕まる。それくらい簡単です」。

デジタル国家として知られるエストニアは映画製作にもイノベーションを起こせるのか、このセッションでは小国ならではの存在感の発揮の仕方についても示唆の富むものだった。

《杉本穂高》

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杉本穂高

Branc編集長 杉本穂高

Branc編集長(二代目)。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。

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