11月29日から公開開始された、ろう者とクルド人コミュニティの衝突をコミカルに描く日本映画『みんな、おしゃべり!』は、「言語」をテーマにした作品だ。作中では、日本語、日本手話、クルド語、トルコ語が入り乱れる。撮影現場でのコミュニケーションにも、様々な工夫があったことは想像に難くない。
作中には日本語しか話せない人物が登場するが、その人物が音声認識アプリを用いて意思疎通を図るシーンがある。
ここで使用されているのが、「YYSystem」というアプリケーションだ。非常に高い精度で音声を認識し、文字に変換してくれるこのツールを、同作の河合健監督はろう者からの紹介で知り、導入を決めたという。
本システムはどのような特徴を持ち、いかなる経緯で開発されたのか。開発元である株式会社アイシンの中村正樹氏に話を聞いた。
映画の演出を支えた「リアルタイム字幕」
YYSystemは作中で、板橋駿谷演じる町おこしを計画する団体職員が使用している。映画では、役者のセリフを瞬時に文字化し、タブレットへ表示させているのだが、これは映画撮影用に作った画面ではない。実際にアプリを起動し、リアルタイムで音声を認識させているという。

河合監督は、ろう者に「何か良い翻訳ツールはないか」と尋ねた際に本システムを知った。実際に使用してその精度の高さに驚き、劇中での採用を決めたそうだ。認識精度や表示速度の問題でNGが出ることもなかったという。リアルタイムに反応するため、俳優のアドリブにも対応でき、現場での演出の幅を広げてくれたと、監督は演出家の視点からも高く評価している。
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レセプション対応にも抜群の力を発揮するYYSystem
このシステムはアプリとして一般提供されており、専用の透明ディスプレイに接続して店舗の窓口などでも利用されている。『みんな、おしゃべり!』を上映している映画館・ユーロスペースにも設置された。
その使用感や精度はどの程度のものなのか、実演してもらった。百聞は一見に如かず、まずは動画をご覧いただきたい。
ご覧の通り、非常に高い精度と速度で、話した言葉が透明ディスプレイに表示される。31か国語に対応しており、自分が話した日本語を、対面のディスプレイに外国語で翻訳表示させることも可能だ。

さらに、聴者の音声言語を対面側に、ろう者が手元のスマートフォンで入力した文字をその反対側に表示できるため、カウンターでの対面接客が円滑になる。
また、固有名詞などを辞書登録しておくことで、正確な表示が可能になる。上の動画では映画のタイトル『みんな、おしゃべり!』があらかじめ登録されており、誤変換なく表示されている。
例えば、レストランや小売店などで、メニューや商品をすべてキーワード登録しておけば、間違いなくその商品名を表示でき、接客の質も向上する。「トイレ」というキーワードに地図画像を紐づけて登録し、「トイレはどこですか」と話しかければ地図が表示される、といった使い方も可能だ。
さらに興味深いのは、言葉だけでなく「音の雰囲気」まで可視化する点だ。動画にあるように、拍手の音には拍手の絵文字が、笑い声には笑顔の絵文字が表示されるなど、言語情報だけでなく感情や環境音まで伝える工夫がなされている。
この精度の高さと細やかな配慮が、難聴者の間で高く評価されている理由だという。
透明ディスプレイは、主に店舗や窓口向けで活用されているが、YYSystemのツール自体はスマートフォン単体でも利用可能だ。取材当日は『みんな、おしゃべり!』の試写会とトークショーが行われていたが、本システムを映写機に接続し、スクリーン上にリアルタイム字幕を投影する「バリアフリートークショー」が実施されていた。時折、認識ミスも起きるが、概ね意味の通じる日本語が表示され、ストレスなく読めるレベルだった。

自動車部品メーカーが挑む「聴覚のバリアフリー」
このシステムを開発したのは、株式会社アイシンの中村氏だ。大手自動車部品メーカーである同社がなぜ、意思疎通支援を目的とした、音声認識アプリを開発することになったのだろうか。

「私は、元々はカーナビの開発を行っていましたが、新規事業創出のために東京の研究所へ単身赴任したことが始まりです。当時、従業員の知識をデータベース化して生産性を高める研究をしており、その一環で、音声認識にも取り組んでいました。そんな折、2020年のコロナ渦でマスク着用が当たり前になり、約300名の聴覚障害のある従業員が、口元が見えないことでコミュニケーションで困るようになったんです。そこで、取り組んでいた音声認識技術を活用し、意思疎通を支えるアプリとして開発が再スタートしました」
開発にあたっては、社員と共に工場内で実証実験を繰り返した。その結果、騒音の多い環境でも正確な音声認識を実現。社内での高評価という確かな手応えを得て、社外への提供に踏み切ったという。
本システム最大の特徴である「精度の高さ」は、当事者の意見を取り入れ続ける開発スタイルにある。
「SNSなどで当事者の方から連絡を受けたら、その場で直し、翌日には修正版をアプリストアに公開する。そうやって改善を続けてきました。本当に当事者が必要とする、『痒い所に手が届く』サービスのあり方は、聴者である僕にはわかりませんから」
映画『みんな、おしゃべり!』の制作現場でも、本システムは潤滑油となった。オーディション時、河合監督以外のスタッフは手話がわからなかったため、YYSystemを通じてろう者とコミュニケーションを図ったという。河合監督は「他のアプリと比べて体感で3倍くらい反応速度が速く、タイピングするよりも楽。様々なアプリを試しましたが、これが一番でした」と語る。
マイノリティへの技術活用が、社会を変える
本サービスにはAIが活用されている。中村氏は、AI開発の方向性についてこう語る。
「ビッグデータを用いて大規模市場を狙う手法は一般的ですが、僕らは違います。事業的には議事録システムなどを作った方が収益性は高いでしょう。しかし、マジョリティのためではなく、マイノリティのために技術を使いたい。本気で向き合わなければ、当事者の心は離れていってしまうと思うんです」
現在、中村さんの所属する事業部では、「世界に字幕を添えるプロジェクト」を展開している。企業や団体が、YYSystemを導入し字幕を添えることで「わいわいスポット」となって、聞こえ方や言語の違いによって生まれるコミュニケーション上の障壁をみんなで乗り越え、誰も取り残されない未来を目指すプロジェクトだ。こうした活動には、バリアフリーの促進だけでなく、事業的な展望もある。
「企業で行う以上、事業性は求められます。しかし、私はこのマイノリティ市場が小さいとは思っていません。将来、自分自身も当事者になるかもしれない。社会的な意義は非常に大きく、現在では事業としても成立し始めています。いきなり利益を追求するのではなく、社会的意義を掲げ、そこに事業がついてきている状態です。『YYMaps』は、設置店を表示できる地図アプリです。これを集客装置として活用し、お店に人が集まる流れを作りたいと考えています」
わいわいスポットとして登録された店舗は、「YYMaps」に表示されるため、店舗側の集客メリットにもなり得る。スポットを訪れるとデジタルスタンプが付与され、3つ集めると500円分のQUOカードPayが当たるキャンペーンも12月7日まで実施された。

日本には、身体障害者手帳を持つ聴覚障害者が約30万人以上いるとされる。さらに、高齢化などによる難聴者を含めればその数は膨大であり、今後も増加が予想される。そうした人々をも顧客とするためには、映画館側の受け入れ態勢が不可欠だ。こうした意思疎通支援ツールが普及することで、映画館のマーケットそのものを広げる可能性も秘めている。










