2025年7月12日、文京学院大学経営学部主催のトークイベントシリーズ『ビジネス×コンテンツ=未来をプロデュースせよ』の第一弾として、「アニメ×経営学:ヒットの構造と仕掛けを解き明かす」が同大学本郷キャンパスにて開催。会場にはアニメ業界を志す学生が多く詰めかけた。
本イベントには、アニメ業界の最前線で活躍する株式会社サラマンダー代表取締役社長の櫻井大樹氏、日本アニメーション株式会社メディア部部長の井上孝史氏が登壇。アニメ制作の舞台裏にある意思決定や資金調達、ビジネス戦略について、経営学の視点から議論が交わされた。コメンテーターとして同大学経営学部の平田博紀教授、司会はニッポン放送の吉田尚記アナウンサーが務め、クリエイティブとマネジメントが交差するリアルな現場が解き明かされた。

櫻井氏は、脚本家としてキャリアをスタート。これまでに『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』、『おじゃる丸』、そしてNetflixの『グリム組曲』などを手掛けてきた。特に『攻殻機動隊』に携わった当時はまだ22歳であったこと、現在は自身の会社を設立し、文京学院大学の客員研究員も務めていることを明かした。
井上氏は、国民的アニメ『ちびまる子ちゃん』の放送25周年を記念して企画した映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』や、自身が子供の頃に熱中した作品をリメイクした劇場版『はいからさんが通る』などを紹介。これらの作品を通して、プロデューサーとしての経験を語った。
プロデューサーは「作品ごとの経営者」である
イベントは、司会の吉田氏による「アニメプロデューサーとは、作品ごとの経営者のようなものではないか」という提起から始まった。これに対し、登壇者はそれぞれの立場からプロデューサーの役割を語った。
日本アニメーションの井上氏は、プロデューサーを「作品ごとの全責任を負うリーダー」と定義。企画の立ち上げはスタートアップ企業のそれに近く、作品内容のクリエイティブな側面から、最終的な収益まで、すべての責任を負う立場であると説明した。

アニメ制作のビジネス構造と資金調達のリアル
話題はアニメ制作のビジネス構造、特に資金調達の側面に移った。井上氏から、テレビアニメ1話あたりの制作費が約3000万円、劇場版では最低でも5億円から、8億円でやや潤沢、大作になると30億円規模に達するという現状が示された。
これについて経営学を専門とする平田教授は、一般的なスタートアップ企業の初期資金調達が5000万円から1億円程度であることと比較し、「アニメ制作は、創業から数年が経過した成長フェーズの企業がさらに資金調達を行う規模に匹敵する」と述べ、その事業規模の大きさを指摘した。
この莫大な資金をいかにして集めるのか。井上氏は、現在主流となっている「製作委員会方式」について解説。これは、企画に賛同した複数の企業(出資者)が共同で出資し、リスクを分散する仕組みであり、出資者は「作品の株主のような存在」であると説明した。

アニメ事業は「エフェクチュエーション」に近い
櫻井氏は、アニメ業界の出資者には、純粋な投資目的だけでなく「作品が好きだから」という応援の気持ちで出資する人々が多いという特徴を挙げた。自身が資金調達を行う際には「回収できればいい。赤字にならなければ次がある」という視点で、必ずしも大きな利益を追求するだけではないアプローチを取っていると語った。それでもなお、5億円という金額を集めることの困難さは計り知れないと強調した。
平田教授は、こうした「好きだから」という動機に基づく出資は、経営学の概念である「エフェクチュエーション」に近いと分析した。これは、明確な目的や市場分析から始めるのではなく、「自分がやりたいから」「自分にできるから」という個人的な動機や手持ちの手段から事業を始めるアプローチを指す。この方法は、一般的なビジネスの世界でも成功事例があり、アニメ業界の特性と共通する点があることを示唆した。一方、目標を最初に設定し、その達成に必要な手段を逆算して計画する「目的主導型」のアプローチをコーゼーションと呼ぶという。

配信によって足し算で予算を組み立てられるようになった
アニメビジネスの収益モデルは、この20年で劇的に変化した。井上氏は、かつて収益の3分の1から半分を占めていたDVDやBlu-rayといった「ビデオグラム」の市場が著しく縮小したと指摘。最盛期には数十万枚単位で売れていたものが、現在では数百枚という作品も珍しくなく、売上の桁が2つも3つも変わるほどの激変が起きていると語った。
この変化の大きな要因となったのが「配信」だ。Netflixでアニメ部門を担当した経験を持つ櫻井氏は、定額配信の普及により、追加料金なしで気軽にアニメに触れる機会が増え、特に海外でのアニメ視聴時間は過去5年で3倍に増加したという。これにより、従来は、例えば映画館の座席数などから上限を予測する「引き算」でしか立てられなかった制作予算が、海外配信の収益などを見込んだ「足し算」で組み立てられるようになった。この変化が、制作費の高騰と大規模プロジェクトの実現を可能にした大きな要因であると分析した。

プロデューサーに求められる資質とは
イベントの後半では、「アニメプロデューサーにはどのような能力が求められるのか」というテーマで議論が深められた。
櫻井氏は、かつては大きなアドバンテージだった「英語力」も、高性能なAI翻訳の登場によってその価値が変わりつつあると指摘。変化の激しい時代において本当に重要なのは、「柔軟性」「好奇心」、そして「素直さ」であると述べた。また、プロダクション・アイジー時代の石川光久氏の言葉「損をしないようにと思って動いていると必ず損をする」という言葉を紹介、「目先の損得を考えすぎないこと」の重要性も説いた。短期的な利益を追って環境を変え続けるよりも、一つの場所で辛抱強く続けることで、ある時ブレイクスルーが訪れることがあると語った。
平田教授は、これらの資質を経営学における「人的資本」という概念で説明。個人が持つ能力や経験が、仕事を任されたり資金調達を成功させたりする際の信頼、すなわち「シグナル」として機能すると解説した。
一方、井上氏は「アニメが好きであること」が根源的な力になると強調した。また、多様なジャンルにアンテナを張る「好奇心」と、何百人ものスタッフや出資者をまとめ上げる「コミュニケーション能力」が不可欠であると述べた。
この「コミュニケーション能力」について、櫻井氏はユニークな例えを披露した。それは「プロデューサーの仕事に最も近い練習は、飲み会の幹事をやること」だという。損得を考えず、多様な意見を調整し、段取りを組むという経験が、プロデューサーの業務に直結するというのだ。
平田教授も、組織論における3つの基本要素(共通目標、貢献意欲、コミュニケーション)を挙げ、コミュニケーションが組織を機能させる上で極めて重要であると同意した。さらに、アニメ業界のように「好き」という共通言語を持つ集団は、専門用語(作中用語など)がすぐに通じるためコミュニケーションコストが低く、結果として組織の生産性が高まるという経営学的な利点を指摘した。
未来のプロデューサーへのメッセージ
最後に、登壇者から会場に集まった高校生や大学生に向けてメッセージが送られた。
櫻井大樹氏:
「不透明な時代だからこそ、どこに行っても不確かなので、好きなことに賭けるリスクはむしろ低い。夢があるなら突き進んでほしい。逆に夢がなくても焦ることはない。自分もそうだったが、然るべき年齢になれば、思いがけないところからキャリアの扉が開く。その時は迷わず進むのがいい」
井上孝史氏:
「好きなことを仕事にしている。好きなことだからこそ、時間や労力を惜しみなく注げるし、それが結果的に夢を叶えたり、幸せに繋がったりするのではないか。必ずしもエースになれなくても、アニメ業界には多くの仕事がある。好きな業界にいれば辛いことも乗り越えられる」
平田博紀教授:
「『好き』という気持ちは、内発的な動機として非常に強い。一方で、好きかどうか分からないことにまずアプローチしてみる姿勢も大切。とにかくやってみることで、自分の『好き』が見つかるかもしれない」
イベントは、アニメを「経営」という新たな視点で切り取り、その構造と未来を深く考察する貴重な機会となった。クリエイティブな現場とビジネスの論理がどのように結びつき、ヒットが生まれるのか。その最前線で戦うプロデューサーたちの言葉は、コンテンツ産業を目指す人々にとって、大きな示唆に富むものであった。