国際コンテンツマーケットで商談に挑戦!インディーズ映画監督のヴェネチア国際映画祭ダイアリー

ヴェネチア国際映画祭と並行して開催されるコンテンツ商談マーケット「Venice Production Bridge」。ジェトロに長編監督作品『ボクがにんげんだったとき(原題:When I Was A Human)』が選抜された筆者が企画プレゼンへの道のりをレポートしていく。

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ヴェネチア国際映画祭のようす
筆者撮影 ヴェネチア国際映画祭のようす
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三大映画祭のひとつであるヴェネチア国際映画祭と言えば、レッドカーペットに映画の大スターたちがひしめき合い、新作上映にパーティー三昧……というイメージだが、映画祭と並行して開催されるのがVenice Production Bridge (以下、VPB)という、コンテンツの商談マーケットだ。

実は筆者が製作総指揮・監督を担当する長編作品『ボクがにんげんだったとき(原題 When I Was A Human)』が、企画中の段階でジェトロ(日本貿易振興機構)の目にとまり、日本の「選抜」作品として、ヴェネチア国際映画祭で企画プレゼンをすることになった。本記事ではその道のりを記していきたいと思う。

「ヴェネチア」はどんなところ?

ヴェネチアには乗り継ぎと遅延で計18時間の旅を経て8月30日に到着した。ヴェネチアは予想以上の高温高湿で、立っているだけでサウナ以上の汗が流れる。「水の都」というと素敵だが、世界から集まった映画祭の客でびっしりの水上バスで1時間も揺られて行くのではロマンも何もあったものではない。

ボートを下船すると宿泊先のホテルまでは徒歩。ここでスーツケースが命取りになる。ヴェネチアは車の乗り入れが一切禁止なので、どんな荷物でも自分で引きずっていかねばならない。おまけにヴェネチアは、「バリアフリー」とはかけ離れた観光地で、至る所にある運河には太鼓橋がかかっていてほとんどが階段だ。「徒歩10分」で鷹を括っていると、とんでもない目に遭う。

いざ、Venice Production Bridgeへ!

ガイドブックになってしまいそうなので、本題に移る。

このVPBというマーケット・プレイスでは選抜された映画・TV企画が、製作資金調達或いは完成作であれば配給元を求めて数々の商談が行われる。プロデューサーと配給会社のお見合いイベントみたいなものだ。


《神津トスト明美/Akemi K. Tosto》

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神津トスト明美/Akemi K. Tosto

映画プロデューサー・監督|MPA(全米映画協会)公認映画ライター 神津トスト明美/Akemi K. Tosto

東京出身・ロサンゼルス在住・AKTピクチャーズ代表取締役。12歳で映画に魅せられハリウッド映画業界入りを独断で決定。日米欧のTV・映画製作に携わり、スピルバーグ、タランティーノといったハリウッド大物監督作品製作にも参加。自作のショート作品2本が全世界配給および全米TV放映を達成。現在は製作会社を立ち上げ、映画企画・製作に携わりつつ、暇をみては映画ライター業も継続中。

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