『急に具合が悪くなる』濱口竜介が語る、ユマニチュード・資本主義・偶然性──カンヌ最優秀女優賞共同受賞作はいかにして生まれたのか

生と死を巡る往復書簡を、濱口竜介監督はいかに映画へ翻訳したのか。日仏を舞台にケアや資本主義の問いを交え、「人間を人間として扱う」真髄を描く新作『急に具合が悪くなる』。言葉を超えた感動と、人生を動かす偶然性をスクリーンに刻んだ軌跡に迫る。

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© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners
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  • (C) KAZUKO WAKAYAMA
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哲学者と人類学者のあいだで交わされた、生と死をめぐる往復書簡。その言葉にならない感動を、濱口竜介監督はいかにして映画に翻訳したのか。

哲学者・宮野真生子と人類学者・磯野真穂による同名書籍を原作とする、濱口竜介監督の新作『急に具合が悪くなる』が、6月19日に公開される。主演の岡本多緒とヴィルジニー・エフィラに、第79回カンヌ国際映画祭最優秀女優賞(共同受賞)をもたらした本作。日本とフランス、二つの言語と文化を行き交いながら、ケア技法「ユマニチュード」、イタリアの精神病院廃絶運動、そして資本主義の只中で「人間を人間として扱う」とはどういうことかを問う意欲作だ。

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原作にない要素をいかに編み込み、偶然性をスクリーンに刻んだのか。濱口監督に話を聞いた。


往復書簡でも映画にできるという感触はあった

――原作をどのように受け取ったのでしょうか。

濱口:明確には、未だに言語化できません。「感動した」では足りないような気持ちになりました。その言語を超えた感覚そのものを受け渡せれば一番いい。このお二人の関係性をいったいどう映画に置き換えたらいいか、ということは当初はまったくわかりませんでした。

――原作は往復書簡という形式で、小説のような明確な物語があるわけではありません。映画にしうるという確信を持てたタイミングはあったのでしょうか。

濱口:読んだ直後に「自分が映画にするなら会話劇であろう」という感触はありました。二人の女性の関係性の発展が書簡の中にあるので、物語がないとは思いませんでした。ただ、視覚的な要素がない。そのまま映像化したら、パソコンでタイプしてメールの送信ボタンを押す、というやり取りがひたすら続くことになるので、それは映画にしづらい。とはいえ普段から言葉ばかりの映画を撮ってもいるので、究極的にはなんとかなるだろうとは思っていましたし、おそらくプロデューサーの松田広子さんもそういう目算だったのだと思います。手紙では難しいので、どこかで出会って会話する形式にし、その関係性が発展していくのが大筋になる。では一体それはどんなシチュエーションなのかということのヒントを、ひたすら探していました。

(C) KAZUKO WAKAYAMA

ユマニチュードと資本主義

――俳優たちとはどのような準備をされましたか。

濱口:基本的にはいつも通りです。役に合った人をキャスティングし、準備期間をいただくという前提で受けていただく。ヴィルジニーさんや岡本多緒さんには外国語のレッスンがありますが、あとはひたすら本読みを感情的なニュアンスを込めずに繰り返す。加えて、設定資料とは別に「サブテキスト」をお渡しして、それを基に関係性を演じてもらうワークショップ的なこともやりました。それをほぼ全出演者に対して関係の網の目を構築するように準備をします。本番は基本的にシナリオ通りです。本番で相手との関係から何か感じるところがあれば、それを表現していただくのは全く問題ない、という前提で演じていただいています。

特殊なものがあるとすれば、黒崎さんの役が自閉スペクトラム症という設定なので、施設に通って身振りや発声を見て書き取り、それを黒崎さんにやってもらう、ということはありました。ただ、黒崎さんも本読みには同席してもらっていますし、彼なりに「せりふ」を言ってもらうことはありました。なので、それもそんなには変わりません。

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――今回は日本語とフランス語の会話劇です。『ドライブ・マイ・カー』でも複数言語が入り乱れましたが、日本語以外の言語に挑む意味とは。

濱口:言語自体は、通訳の方が自分の言うことをちゃんと伝えてくれるという信頼関係があり、その時間を組み込んだスケジューリングをしていれば問題ありません。今回は共同脚本家でもあるルディムナ玲亜さんが現場では通訳も務めてくれたので、その点は大丈夫でした。むしろ問題はむしろ文化です。会話を書くというのは、あることが起きて、この人はどう振る舞い、どんな言葉を返すのかを書いていくこと。そのレスポンスの仕方は文化によって違うので、そこが正しいのかは非常に不安でした。だからスタッフにも俳優にも、セリフに違和感があったら遠慮なく言ってほしいと伝えていました。医療介護のプロフェッショナルに見せて「これはないよ」と言われれば変える。あるいは、セリフの中で登場人物に「そんなのはおかしいです」と言わせて、「この世界の中でもちゃんとおかしいんですよ」ということを示したりもしました。

――原作にない要素であるケア技法の「ユマニチュード」や、イタリアの精神病院廃絶の話を取り入れた理由は。

濱口:あるとき、この映画が日仏の国際共同制作をしようとなったときにフランス人と日本人の主人公が1人ずつの物語にしようとなった時に「日仏をつなぐ要素は何か」と考えました。そこで浮かんだのが、10年ほど前から興味を持っていたフランス発のケア技法、ユマニチュードです。最初はユマニチュードを学ぶ日本人介護士の話を考えたのですが、現地で取材するうちに、導入に苦労している介護施設と出会いました。うまく機能している施設も見ましたが、詳しくない外部の人間からすれば「本当にそんなにうまくいくのか」という疑問も当然湧く。出会った施設は、スタッフが十分にユマニチュードを理解していない感じも含めて、それは自分にもリアルで、観客の多くにとっても入りやすいものと思えたので、ユマニチュードが本当に有効な方法なのか否かを測る局面自体が映画になりであろうと考え、主人公の一人はフランスの介護施設ディレクターとなりました。

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そうすると今度は「2人はどうやってパリで出会うのか」「もう1人の職業をどうするか」という問題が出てくる。宮野さんが大学時代に演劇をやられていたことも頭にあって、演劇の国際公演をしている設定にしました。そうすると、今度は演目を考えないといけない。これもまた別の文脈で読んでいた、医療人類学者・松嶋健さんの『プシコ ナウティカ――イタリア精神医療の人類学』という本があります。イタリアでいかにして精神病院が廃絶されるに至ったかが詳しく書かれていて、そこでフランコ・バザーリアという人物を知り、感銘を受けました。「人間を人間として扱う」態度という点で、ユマニチュードと原作とバザーリアはつながると思えて、二人の出会いを必然性のあるものにできそうでした。それでこれを一つの筋としてまとめてみよう、と。

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――ユマニチュードを巡る施設経営の問題が入り口になって、主演の2人が資本主義について語り合う場面があります。そこまでつなげられる確信があったのですか。

濱口:取材中に、モデルとなった施設のディレクターに何が問題かと尋ねると、「やはりお金の問題だ」とおっしゃっていました。全員にユマニチュード研修を受けさせないと、十分に施設にその文化が浸透しない。その研修費の問題があり、そもそもある人手不足の問題があって、一部の人たちへの過重労働を生んでいる。これはケアの業界に限ったことではなく、自分のいる映像業界でも同じと思いました。ケア業界も映画業界も同じ社会の同じ構造、つまり資本主義的なシステムの中で生きている。「人間を人間として扱う」ことが軸にあるとすれば、一体何がそれをさせないのか。そこには共通して依存しているシステムがあるはずで、それをこの対話の中で描き出せれば、映画としても十分に面白くなるのではないかと思ったんです。

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偶然性を映画で描くためには

――原作でも映画でも、偶然性がひとつのキーワードになっています。濱口監督の作品では常に重要な要素ですね。

濱口:特に宮野さんのがんの状況が悪化して以降、2人は学者としての枠を超え、それまでのフィールドを出て、それまでなら使わないような言葉でやり取りをしなければならなくなる。病もひとつの偶然ですが、偶然には、それを引き受けるか引き受けないかを選ばせるところがあると思います。偶然を引き受ける、逃さない、そこから発展していく関係性。「ここで逃げていたら、話はそこで終わっていた」という局面を、原作に倣って映画の中にいくつか作っています。そのことによって、偶然が人生を決定する要素になってくると思っています。

――偶然は、物語を作る上では時に便利すぎるものでもあります。

濱口:一番使いやすいのは、人間の愚かさに由来するタイプの偶然です。嘘が偶然バレてしまう、緻密な犯罪計画も些細な偶然で御破算になってしまう、などですね。しかし、観客はなぜかそれを許容します。人間はそんなに賢いものではない、ということが観客にも染み込んでいるからでしょう。難しいのは「そんなことがあったら、いい世の中だよね」というタイプの偶然を入れ込むこと。つまりはご都合主義に見えて、観客が離れていく可能性がある。でも究極的には、描かなきゃいけない時には描くしかない。「この偶然が起きている世界は観客にとって都合よく見えるかもしれないが、それを信じるか否か」をどこかで突きつける。自分にとっても、これを描くことが、世界を信じることであるような、そういう境地で描くかどうかということですね。

物語上の偶然を実際にどうやって映画にするのか、という問題があります。「本当にそれが起きている」と観客が感じられる撮り方をする。あまりに都合がいいかもしれないが、目の前で本当に起きているから信じるしかない、という風に撮るしかない。更には、偶然が起きたとして、一番大事なのはそれに対してどう振る舞うかということです。なので、そちらにより重点を置く。例えば去っていく人を呼び止めるかどうか、演劇のチケットを渡されて見に行くかどうか、ということです。

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――原作者の一人である宮野さんは九鬼周造の専門家です。濱口監督も九鬼の影響を公言されていますが、原作に興味を持った理由のひとつでもあるのでしょうか。

濱口:そうですね。ご縁を感じました。九鬼の『偶然性の問題』は読んでいたものの、非常に難しい本でもありました。それを宮野さんが『急に具合が悪くなる』の中でかなり平易な言葉で語ってくれています。また博論を基にした『出会いのあわい』では、噛み砕くような形で九鬼周造について解説されています。そのおかげで九鬼の思想がより腑に落ちましたし、そういう点でも恩義を感じています。

『急に具合が悪くなる』
公開:6 月 19 日(金)TOHO シネマズ日比谷ほか全国ロードショー

映倫:G

キャスト:ヴィルジニー・エフィラ 岡本多緒 長塚京三 黒崎煌代

監督:濱口竜介

原作:宮野真生子・磯野真穂著『急に具合が悪くなる』(晶文社)

製作:Cinéfrance Studios, オフィス・シロウズ, ビターズ・エンド, Heimatfilm, Tarantula

配給:ビターズ・エンド

提供:Soudain JPN Partners フランス=日本=ドイツ=ベルギー合作

公式HP:https://www.bitters.co.jp/soudain/

公式X:@FilmAOAS https://x.com/FilmAOAS

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《杉本穂高》

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杉本穂高

Branc編集長 杉本穂高

Branc編集長(二代目)。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。

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