2026年5月から6月にかけて、第28回上海国際映画祭で「AI片場」と呼ばれる実験的なプログラムが実施された。このプログラムは、同映画祭がパートナー企業である中国のAI大手Minimax社と共同で立ち上げたもので、従来型の映像作家とAIを用いた映像制作に精通したクリエイターがペアを組み、1本の作品を仕上げるという内容だ。
同プロジェクトは、映像クリエイターたちが未来の映像創作の方向性を探求することを目的にしている。AIによる創作のプロセスを実際に示して、“今のところ、何ができて、何がまだできないのか”を見極めるために実施された。
応募者の中から選抜された4つのチームが、それぞれ異なる題材でAI映像制作に挑んだ。紅軍兵士を主人公にした歴史・戦争ドラマを手がけた「三頭怪」チーム、中国神話を題材にしたアニメ『願力司』を制作した「能工智人」チーム、社会派ドラマ『我能』を制作した「光錐」チーム、そして映像随筆(video essay)『活下来的砕片』(生きていくかけら)を制作した「bicycle kids」チームである。
さらに、この試みを中国伝媒(メディア)大学戯劇影視(演劇&映画・ドラマ)学院の観察チームがレポートにまとめた。
このレポートは「AIが映像を一瞬で生成できる」という世間の印象とは裏腹に、AI映像制作の現場が抱える具体的な技術的困難と、そこで浮かび上がった問いを詳細に報告している。本稿では、この4チームの試みから、「能工智人」チームと「光錐」チームが遭遇した特に興味深い3つの壁——AIモデルの学習データに埋め込まれた“審美的慣性”、三次元空間理解の破綻、そして“身体性”の欠落——の報告を掘り下げる。そこから逆説的に立ち上がってくるのは、人間の判断力の重要性だった。
審美的慣性という見えない壁
アニメ『願力司』の制作に挑んだ「能工智人」チームは、AI生成モデルに潜む審美的な偏りという課題に直面した。
宮廷、廟、青銅、神仙といった中国的なファンタジーの世界観を狙って言葉を入力しても、モデルが返してくるのは『ムーラン』に登場するようなディズニー・キャラクター的な顔立ちであり、ハリウッドの写実的な質感に寄っていった。“ピクサー”や“ディズニー”といった単語を入力していないにもかかわらず、モデルは自発的に米国の3Dアニメーションの特徴を持つ画面を出力し続けたのである。
こうした偏りは、モデルの学習データの中に深く根を張った、西洋の商業アニメーションと写実的なビジュアルを中心とする審美的な慣性によるものだ。

チームはこれに対抗するため、50回を超えるプロンプトの反復を行った。「ピクサー」「ディズニー」「アメリカ風カートゥーン」「写実的なレンダリング」といった誘導語を体系的に取り除き、AIモデルが慣れ親しんだ審美的慣性に回帰する経路を断ち切った。そしてその後、「水墨画」「寺院」「敦煌壁画のような線」「低彩度の鉱物顔料」といったローカライズした語彙をAIモデルの中に植え込んでいった。
しかし言葉と視覚要素は一対一で対応するわけではない。ある語彙はAIモデルの中で仙侠ゲーム的なイメージと結びついてしまい、クリエイターが期待する古典絵画的な質感には結びつかなかった。つまりプロンプトエンジニアリングとは、単に語彙を並べる作業ではなく、AIモデルがどの言葉をどう連想するかという構造を理解し、機械と交渉する行為だということが分かる。
AIが提示する“それらしい画”は、既存データの平均値にほかならず、放置すれば作品はどの文化にも属さない“最大公約数的な美”にならされていく。現段階では、地域や時代、文化に固有の美意識を作品に定着させるためには、クリエイターが絶えずモデルの慣性に抗い、作品のスタイルに対する主権を取り戻す作業を続けなければならない。





