都内にあるHibino VFX Studio。一歩足を踏み入れると、現実と見紛うような桜並木の風景が広がる巨大なLEDウォールが視界を覆う。カメラが上下に動くと、背景の桜の木が滑らかに追従し、完璧な奥行き感を表現する。これはバーチャルプロダクションによる「インカメラVFX」と呼ばれる最先端の撮影手法だ。天候不順でもスケジュールをずらすことなく撮影できる利便さもあり、近年、多くの映画やドラマ、CMの撮影などで活用されるようになっている。
しかし、この技術にも「背景の用いる高品質な3DCGアセット制作には莫大な時間とコストがかかる」という大きな課題が存在する。そのため、この技術を導入できるのは、予算が潤沢にあるプロジェクトに限られるのが実情だ。ヒビノ株式会社はAI動画サービス「DO/AI」などを提供するWIT COLLECTIVE合同会社と協業し、この課題に取り組むとともに、その先にある次世代エンターテインメントの開発を推進している。
LEDバーチャルプロダクションがもたらした恩恵と課題
LEDバーチャルプロダクションとは、大型LEDディスプレイに映し出した仮想空間の背景と、実物の被写体をリアルタイムで同時に撮影し、合成する映像制作技術だ。言うなれば、物理世界とデジタル世界をカメラの前で同時に存在させるわけだが、従来なら、グリーンバックの前で俳優が芝居をし、後から背景を合成させるというプロセスが主流だった。これには「演者が完成形を想像しながら演じなければならない」「照明の反射が不自然になりがち」「後工程であるポストプロダクションの負担が大きい」といった課題がつきまとっていた。

LEDバーチャルプロダクションは、高精細LEDウォールに背景を映し出すことでこれらの課題を軽減する。近年では、NHKの大河ドラマ『どうする家康』といった大作ドラマでも活用され、演者は完成形に近い背景の中で没入して演技ができ、車や建物への光の反射もリアルに再現できるため、最終的な映像クオリティを向上させやすいと評価される。
一方で、この手法は撮影後に合成するのではなく、撮影時にLEDディスプレイに高精細な背景を映し出す必要があるため、グリーンバック合成に比べると、撮影前の制作フローに負担を強いることになるという、グリーンバックとは異なる課題を抱えることにもなる。
AIは撮影現場の生産性を拡張するか?
このバーチャルプロダクションの課題軽減に貢献できるものとして、ヒビノとWIT COLLECTIVEが期待するのが、生成AI技術だ。取材中、デモンストレーションとして「砂漠」というキーワードで生成された高精細な背景がLEDウォールに映し出された。現実には存在しないような抽象的な背景も表示された。
AI導入のメリットは、「オンセット(撮影現場)でのクリエイティブな柔軟性」だ。「これまでは撮影前のプリプロダクション段階で背景をFIXさせる必要があったが、AIはその場で背景に要素を追加して柔軟な対応を可能にするという。例えば、カメラの画角や構図を変えた時、背景の空に雲がもっと欲しいと思ったら、生成AIを用いてその場で雲を追加するというような対応を可能にする。俳優を背景の前に立たせてみて、初めてわかることもあるし、演技プランによっても背景に求められる要素は変化することもある。こうした撮影現場でのトライアンドエラーが可能になることで、クリエイティブの可能性が飛躍的に拡張されるとする。

映像制作の枠を超えるAIの活用可能性
AIの活用範囲は、映画やドラマの背景制作だけに留まらない。ヒビノとWIT COLLECTIVEの協業は、より多様なエンターテインメントの形を模索している。
その一つが「体験型イベント」での活用だ。WIT COLLECTIVEは、子どもが「食パンの上に乗って海を泳ぎたい」と口にした突拍子もない夢を、AIがその場でビジュアル化し大型プロジェクターに投影、その世界に本人が入り込んで記念撮影できるというイベント「AI LOVE YOU展」を実施した。個人のイマジネーションをリアルタイムに実現するこの技術は、パーソナライズされた新しい体験価値を創出する。

「ライブエンターテイメント」も有望な領域だ。アーティストの背景をAIで生成したり、将来的には、会場の観客の熱気や盛り上がりをリアルタイムに反映し、背景がインタラクティブに変化するような、アーティストとファンが一体となる演出も目指したいという。
さらに「コンテンツ開発」のプロセスそのものを変える可能性も秘めている。従来、莫大な費用と時間がかかっていたパイロットフィルムを、AIで低コストに制作する。それを出資者へのプレゼンテーションやテストマーケティングに活用することで、本格的な制作に入る前の企画開発リスクを大幅に低減でき、クリエイターが新たなIP創出に挑戦しやすい環境の整備にも繋がることも期待される。
AIはクリエイターの仕事に取って代わるものではない
生成AIには「狙った絵を出すための試行錯誤(ガチャ要素)」や「心理的な反発」といった課題も存在する。しかし、WIT COLLECTIVE代表CEO大嶌諭氏は「AIはクリエイターの仕事に取って代わるものではなく、人間の脳内を拡張し、これまで形にできなかったイメージを可視化するツールだ」と語る。
ヒビノが提供する高精細大型LEDディスプレイやスタジオという「物理インフラ(ハード)」と、WIT COLLECTIVEが持つ様々なイメージを紡ぎ出す「AIの創造性(ソフト)」。この両者の協業は、物理空間と仮想空間がリアルタイムに、そしてインタラクティブに融合させる新たな体験を生み出そうとしている。この試みが映像撮影の未来を変えるのか注目される。







